🌴受験生ブルース の続きです。
結局のところ、この曲🎵受験生ブルース🎵の歌詞【10番】の通りになったわけですが、それでも高三の一時期、校内試験(中間・期末)で成績上位に名を連ねたこともあったんですけどね…。
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私が生まれ育ったのは福岡県の郡部の田舎町。筑豊炭田と呼ばれる地域で、戦前は国内最大の炭鉱地帯だったそうです。五木寛之の「青春の門」の舞台となった地域です。
郡部なので小中学校しかなく、高校は隣町のN市の高校に通うことになります。
何しろ田舎町なので、当時の周りの大人の話では、|私立<公立|のイメージがあり、私立に行くことは何だか肩身が狭く、県立高校一択の選択しかありませんでした。
また商業科とか工業科とかいった、専門性への興味も特にありませんでしたので、必然的に県立高校(普通科)を選択するということになります。
N市にある県立高校(普通科)は、K高校とN高校の2校があり、レベルはK高校のほうが断然高い。なにせ現役の東大進学組もいたくらいですから。
高校受験で不合格は嫌でしたからねぇ。私はもちろんレベルの低い方のN高校を受験しました。たとえレベルの高いK高校に合格できてたにしても、たぶんガリガリ勉強にはついていけなかったでしょうし、そういうイメージも湧きませんでしたから。
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私が通ったN高校は、1908年3月9日に高等女学校として設立されました。50年後には男女共学になりましたが前身は女学校なんです。その名残りなのか、3年生は8クラスありましたが、6クラスは男女で、2クラスは女子のみの教室でした。
高三のとき何を思ったのか、校内試験(中間・期末)で全教科100点を取ってやろう、と思った時期がありました。第1学期(中間・期末)と第2学期(中間)の3回分のテストだけでしたけど。
中間・期末テストなんか、教科書の限られた範囲だけなので、内容が理解できなくても、一夜漬けでも何でも丸暗記すれば可能と踏んだわけです。
今でもよく覚えていますが、試験科目は13科目くらいあり、1教科を除いて他の科目は100点かほぼ100点に近い90点台でした。その1科目とは英語で、これは丸暗記じゃ対応できず、頑張ってもせいぜい70点台でしたが、それでも13科目の平均点は90点台です。
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成績順位は校内売店付近の廊下に貼り出されるわけです。1クラス45名くらいでしたから、全8クラスで350名ほどの同級生がいましたが、その一時期(3回分のテスト)の私の順位はトップ3でした。
この一時期ばかりは、教員や同級生の私に対する目線が(良い方に)変わりましたね。アイツは凄い~というわけです。
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テスト問題なんか理解できなくても、丸暗記するだけで、いわゆるイイ点数はとれることをただ立証しただけなのに…。
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しかし丸暗記のテスト対策なんか、無味乾燥でちっとも面白くないし、その反動なのか第2学期(期末)テストからは全く勉強しなくなりました。
テスト用の暗記作業をしていないので、当然の結果ですけど、国語と数学以外は30~40点といった調子。なぜか国語と数学だけは割りといい点数が取れたんですね。多分この2教科は嫌いじゃなかったんでしょう。
まあしかし、90~100点を取ってたのが30~40点ですからね。教員や同級生の私に対する目線が(悪い方に)変わりましたね。アイツは駄目だ~というわけです。
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今から考えると、この頃から素行が悪くなってきましたね。といっても反抗期のちょい悪程度ですけど。
親の離婚だのと一般的な家庭環境ではなかったので、家も面白くなかったこともありますけど。例えばこんなこともやってました。
10㎞程度の自転車通学でしたが、途中で酒屋に寄って缶ビールを買い、それを飲みながら、遠賀川(一級河川)の土手沿いに通学したことなんかはイイ思い出です。
当時は酒類の自動販売機なんぞありませんから、酒屋で買うしかないわけで「親父に買ってこいと頼まれたから」とか何とか言って、酒屋で缶ビールを買っていたわけです。
その時期は冬で黒の学生服。ビールを飲みながら自転車を漕いでいるから、学校に着く頃には体温も上がり体が火照っているだけでなく、顔も真っ赤っかなわけです。
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この時代の学校には少なからず、教員の体罰的なことはあったと思いますが、N校でも遊び半分で掃除してるのがいると、連帯責任だとか言って、その掃除グループ全員を往復ビンタしてましたからね。
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そういう校風でしたから、
顔は赤いし酒の匂いもするだろうに、なぜ問題行動とか何とかでお咎め(おとがめ)を受けなかったのか?、未だに不思議なんですね。そういうこともある程度は覚悟してたんですけど。
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🎵受験生ブルース🎵の歌詞にもあるように、『ちっとも勉強しないで、そんなことばっかりやってる』間に、世間は大学受験シーズンに突入しました。
その当時の私の学力ではどこを受験してもダメなことは、私が一番分かっていることでしたが、親や学校は何にも分かっていないわけです。
特に将来的に何をしたいといったことも無いし、仕方ないのでとりあえず、家からいちばん近い国立二期の○○教育大のみ受験しました。もちろん不合格です。
勉強なんかしたくないし、家にいても面白くないし、郷里から脱出したい心境でしたね。この辺のところは記憶は曖昧なんですが、たぶん校内掲示板の求職案内だったと思います。
関西方面の鉄道関連の求人で、入社試験のための交通費は全額支給とのこと。親から出費してもらうことも不要だし、渡りに船といった調子で親の意見なんか無視して、長時間列車に揺られ入社試験に出向きました。
当時は新幹線なんぞありませんから、急行で10時間以上の長旅だったと思います。
筆記試験と面接試験で1泊2日でしたが、2日目に結果は教えてくれました。不合格でした、やっぱり。いま思えばこの求人先は国鉄(国有鉄道:現JR)だったような気がします。九州の田舎もんの生徒でしたが、会社側は親切に対応してくれました。
合格者は引き続き研修等があるようで居残り、不合格者の私は帰りの電車賃が入った封筒を貰って、トボトボ郷里に帰って行ったというわけです。
帰りの長旅の急行電車内で思ったことは「やっぱりある程度は勉強しないと、社会から弾かれるんだな」ということでした。
大学もダメだし就職もダメだし、高校卒業しても行くところが無いわけです。ここから先は🎵受験生ブルース🎵の歌詞にもあるように、『予備校のブルースを~』となるわけです。
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【10番】の歌詞
勉強ちっともしないで
こんな歌ばっかり歌ってるから
来年はきっと歌ってるだろ
予備校のブルースを
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ところで最近知ったのですが、
NHKで1988年1月3日に放送されたテレビドラマ『翼をください』に登場する「県立花房高校」は、私の母校N校のことです。
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『翼をください』(つばさをください)は、NHKで1988年1月3日に放送されたテレビドラマ。「学校差別」をテーマとしており、大きな反響を生み、現在も語り継がれている。
(中略)
ジェームス三木が、講演のために福岡県直方市を訪れた際、同市を流れる遠賀川にかかる「日の出橋」の下流側(遠賀郡・中間市側)の歩道は直方学園高等学校(後に直方東高等学校、2003年9月30日限りで廃校)の生徒、一方の上流側(飯塚市・嘉麻市側)の歩道は福岡県立直方高等学校の生徒と、完全に分かれて歩いていた光景を見たのがヒントになって、脚本が書かれ生まれた作品である。
<ウィキペディアより引用>
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