|🌴私の受験生ブルース|を書いたので、やはり予備校ブルースも書かなきゃと思うわけですが、55年前のその1年間は「砂をかむよな味気ない~」といった感じで、本当は記憶の空白地帯にしたいんですけどねぇ。
しかし、ジックリと思い起こしてみると、当時が懐かしく感慨深い感じもします。
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交通費支給のあの就職試験がダメになってからは、する事なくダラダラしていたら、父親から「予備校にでも行ったらどうだ」という話になりました。
大学受験もダメ就職試験もダメということで「やはりある程度は勉強しないとなぁ」と、その頃私も思っていましたので予備校に行くことにしました。
親に余分な予備校費用を捻出させることには、後ろめたい気分はありましたが。何せそんな裕福な家庭ではありませんでしたからねぇ。
田舎町ですから予備校情報なんか無いわけです。父親が知人から得た情報で、費用のことなど考慮して、行くならこの予備校と決めてたみたいです。
当時の私なんかはまるで他人事みたいに、ホント何にも考えていませんでしたからねぇ。
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こういう話をすると、決まって妻は「アンタなんか今でもそんな感じで、昔も今も一緒だよぉ~」と断言しますが…。
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当時そこは理系の予備校だったんですが、高校時代の数学の成績が他の教科より若干良かったから、きっと父親は理系の予備校にしたんでしょう。この辺もなんか他人事なんですねぇ。
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家にいても面白くないわけですから、たぶん|🌴私の受験生ブルース|のようなことになるだろうからと、家を出て父方の祖母の妹夫婦宅(北九州市若松区)に居候することになりました。そこから予備校までは徒歩とバスで1時間ほどなので利便性もいいということで。
受験浪人をするにあたり、私はある事を自分に課しました。それは、とにかく自分の今置かれている立場で、やらなければならないことは一生懸命やろう、ということです。
家を離れて居候宅からの予備校通い。親は監視はできないし「適当なことをやろうと思えばやれる」わけです。
漠然とした感覚的なものでしたが、予備校通いの結果はいざ知らず、この際そんな適当なことをやれば「この先の自分は無いな」と何となく思いましたね。
そこで行動パターンを決めました。
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①居候宅では、
勉強がイヤな時でも机に向かうこと。居眠りや勉強以外のことをしてもよいので、とにかく机に向かうこと。
②予備校では、
授業中寝ててもいいから欠席しないこと。寝ててもいいから自習室を使うこと。
③通学時には、
本屋以外の寄り道はしないこと。
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特に③がちょっと辛かったですね。バスで「赤い吊り橋の若戸大橋」を渡って通学していたんですが、気分転換にその赤橋を歩いて帰ったりしていました。
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若戸大橋(わかとおおはし)
若松区と戸畑区を結ぶ、長さ627mの吊り橋。 洞海湾に架かる赤い躯体は若松・戸畑両区のシンボル的存在です。
1962年の開通当時、東洋一の長さを誇り、日本の長大吊り橋の先駆けと賞されました。
令和4年に国の重要文化財に指定され、ライトアップされた橋は日本夜景遺産にも認定されました。
ー北九州市観光情報サイトより引用ー
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