|🌴私の予備校ブルース-1|の続きです。
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予備校独自の教科書というかテキストなんかを貰ったと思います。しかし受験対策用なので(当たり前ですが)、基本的なことすら曖昧な私には苦痛の始まりでした。
何しろ今まで塾なんかに行ったこともないし、学校の教科書しか知らないわけで、テキストに書かれている内容が、高度過ぎて理解できないわけです。
将来何をしたいかという希望なんかはなく、とりあえず授業料の安い国立大を目指して学習することになります。
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親の金銭的負担を軽くするには、
授業料の高い私立大より国公立大のほうだと何となく思うわけですが、それは家から通える範囲の国公立大の話であって、親元を離れれば住居費用等も必要になるわけです。よって、大学にかかる総費用は必ずしも授業料の多寡(たか)だけで比較はできません。
予備校通いをさせて貰っている立場ではありましたが、私はどの大学に行くにせよ、親元から大学に通う気はサラサラありませんでしたからねぇ。
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当時は共通一次とかセンター試験とかいったものはなく、各大学独自の受験科目が指定されていたと思います(たぶんそうでした)。
国立大理系の受験科目は「英語・数学・国語・社会(1科目)、理科(2科目)」と6科目が定番でした。
予備校も半年が経過した頃、現状の私レベルではこの6科目の学習は、入試までには間に合わないことを悟りました。
しかしその悟りを親には言えないので、また特に行きたい学部などはありませんでしたから、とにかく合格の可能性ある国立の一期校と二期校、そして滑り止めに私立という方向でした。
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私がそのように感じただけで、そうではなかったかもしれませんが、その予備校は国公立大の合格に重きをおいている気がしました。
だから受験シーズンが近くなってくると、どの国立大を受験するんだという話になります。前述のように国立大の受験科目は6科目が標準なんですが、実のところ私は4科目でも受験可能な国立大を探し当てていたんです。
因みに、嫌いな英語が受験科目にない大学を探してみましたが、一校もありませんでしたね。
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・一期校はH大学の理学部で、
「英語・数学・国語・物理又は化学(1科目)」の4科目
・二期校はE大学の教育学部で、
「英語・数学・国語・理科又は社会(1科目)」の4科目
・滑り止めの私立大はO工業大学の工学部で、
「英語・数学・物理又は化学(1科目)」の3科目
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だから私が学習すべき科目は「英語・数学・化学」の3科目に絞り、国語はもう成り行き任せのぶっつけ本番とすることにしました。
そして滑り止めは、地元以外の私大とだけ決めていたわけで、特にどの大学とかはありませんでした。
たまたま、地方の受験会場(福岡市)を設けている関西方面の大学があり、関西まで出向く必要がないということでそこを受験することにしました。
私の学習レベルからして、二期校のE大はたぶん大丈夫だろうが、一期校のH大はちょっと難しいかも、というのが予備校の判断でした。
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この辺は記憶は曖昧なんですが、
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・最初の受験は私立のO工業大学でした。地方の受験会場(福岡市)でしたので、居候先(北九州市若松区)からの日帰り受験です。
数学と化学は合格点の確信はありましたが、苦手の英語はちょっと不安感がありました。
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・次の受験は一期校のH大で、ここは2泊3日での受験でした。ところが、受験生という立場の私にとっては、この宿泊先の選定はちょっとなぁ~といった感じでした。
この宿泊先というのが、私より6歳ほど年上の従姉妹(いとこ)の新婚ホヤホヤの自宅(借家)だったんです。H大から30分程度のところだから、是非とも家(うち)に泊まって行けというわけです。
従姉妹が[新妻]だから、私と[新夫]とは面識は無いわけです。私が何となく居心地悪そうにしているので、[新夫]のほうが何かと気遣ってくれて、銭湯に行った帰りに寿司屋さんに連れていってくれました。しかし当時の私は生物(なまもの)がダメでしたので苦痛の極みでしたが。
それから新婚宅に戻り、明日が第1日目の試験なので少し勉強しようと考えてたんですが、酒好きな[新夫]が「まぁ一杯くらい飲んだほうが緊張もほぐれるよ」とか何とか言って、ビールをなみなみとコップに注ぐわけです。私は未成年なんですけどね。
明日は受験日だし、ちょっとマズイ展開になってきましたが、方法論はともかく、[新夫]の気遣い?に感謝し、もう「まな板の鯉」といった心境で成り行きに任せました。
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ちょっと悲しい話なんですがこの8年後、その従姉妹(いとこ)は癌で亡くなりました。30代前半だったと思います。
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受験結果ですが、私立のO工業大学は合格、国立一期のH大学は不合格でした。因みに、H大学の不合格の要因は、[新夫]の気遣い?ではなく、私の実力不足でしたけど。
あと二期校のE大学の受験が残っていましたが、その受験の前にO工業大学の入学金の納付期限が迫っていました。
この入学金を納めておかないと合格の権利を放棄することになり、E大学が不合格だったら困ったことになります。E大学に合格すれば、もちろんその入学金は捨て金になります。
しかし本当のところは、O工業大学に合格した時点で、こういう受験勉強が好きではない私は、勉強するモチベーションは完全に低下していました。
それに父親の考えも、
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たとえE大学(教育学部)に合格しても、その分野の何かがやりたいということなら話は別だけども、ただ学費が安いというだけの選択なら、手に職(技術)をつけたほうがいいんじゃないか。
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というものでした。
私のモチベーション低下と親の考えが融合したところで、E大学の受験は取り止めて、O工業大学の工学部建築学科に通うことになったわけです。
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結果として、この選択は正解だったような気がします。それから50年経った古希過ぎた今現在も、建築関係の仕事を継続中なんですから。
今思えば、
戦前の義務教育だった尋常小学校(今の小学4年まで)しか出ていない父親は、きっと子供(私)には大学まで行かせたかったんでしょうね。そして事務職サラリーマンだったので、子供が工学系に進んだことが嬉しかったんだろうと思います。