『怒り心頭に発する』という慣用句があります。怒り心頭に「達する」とも言われますが、どうも「発する」が正解のようです。
どちらの表現にしろ「心の中から生じる激しい怒り」という意味合いで、庶民風に言えば「頭に来た」ということなります。
この表現自体は「心の叫び」であり、まだ言動により具現化されておらず、自分が思ってるだけなので、対外的には問題になりません。
たとえ正論であったにせよ、下手にこの慣用句を言動に移せば、しっぺ返しを食らうこと間違いなしです。
聖人君子みたいな人はいないわけで(たぶん)、「じゃあお前はどうなんだ」と重箱の隅をつつかれればお手上げとなります。
□□□
サラリーマン時代、私も随分とこの慣用句を言動化してきた輩(やから)でして、その都度、村八分となり孤立化したものです。
振り返って自省してみれば、私自身のコミュニケーションのあり方(進め方)に問題があったんだと思います。
ーーー
一般に「コミュニケーション」というのは、情報の伝達だけが起きれば充分に成立したとは見なされておらず、人間と人間の間で、《意志の疎通》が行われたり、《心や気持ちの通い合い》が行われたり、《互いに理解し合う》こと。
ーーー
(引用:ウィキペディア)
□□□
『怒り心頭に発する』というイスラエルとハマスの軍事衝突。報道で知る範囲内のことしか解りませんが、ネットでググってみると、遥か昔の2000年前からの歴史を勉強しないと、この中東問題は理解できないことのようです。
そうであれば、とりあえずの現状打開策として、一刻も早く前向きな政治的コミュニケーションを図ってもらいたいものです。