の続きです。
ほとんど帰省(大阪→福岡)は一人旅なので、交通手段は国鉄(現JR)の朝発(夜着)の直通急行なんですが、ある年末(昭和50年頃)に学生同僚と二人で帰省したことがありました。
帰省先は私は福岡県で彼は宮崎県です。昼間の列車は超満員で立ちっぱなしになるので、夜行列車で行こうということになりました。
夕方の列車に乗り込んで翌朝方までの乗車時間は12~16時間。確か座席指定ではなかったので、座席確保のため早めに駅に出向き、長い時間ホームに並んだ記憶があります。
夜行列車の窓には自分の顔が写るだけで外の景色は見えないので、とても小旅行の気分にはなりません。
座席で一晩中うつらうつらしていれば翌朝到着なので、私は早速一眠りしょうとボーとしていましたが、彼のほうは元気ルンルンで飲酒タイムモード。
彼は高校時代はラグビー部だったそうで、能動的・積極的なアクティブ派。私は受動的・消極的なパッシブ派。身長はさほど変わらないんですが、彼は骨格がしっかりしていて、太ももの太さなんかは私の倍ほどありガッシリしています。
私も彼も専攻は建築学科でしたので、学業の一貫として、ジャンルを問わず既存の建築物(神社仏閣~近代建築)を観て回ることもありましたが、その場所や日程の計画は専ら彼が決め、私はただただそのお膳立てに便乗するだけといった感じ。
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もちろん当時はスマホどころかケータイもない時代。列車内では居眠っているか、雑誌や文庫本を読んでいるか、おしゃべりをしているかなんですが、車内は何となく、今とは違って、牧歌的なほんわかムードが漂っていました。
乗車して2~3時間経って酔いもホドホドに回ってきたころ、どこから乗車してきたのかわかりませんが、同年代ともおぼしき二人ずれの若い女性が同じ車両に乗っておりました。学生ではなく社会人だったと思います。
目敏く(めざとく)彼女らを見つけたアクティブ派の彼は早速、声をかけようと私に持ちかけてきました。もう12時頃の夜中だし眠いし、面倒くささが先に立つパッシブ派の私はちょっと億劫でしたが。
彼と同じく彼女らもアクティブ派らしく、暇をもて余し気味だったので、彼の誘いに乗ってこっちの座席に移動してきました。私と(渋々ベアになった)彼女は大分県で下車だったと思います。
アクティブ派3名とパッシブ派1名(私)は、結局のところ、夜中じゅう飲み食いしながら一夜を列車で過ごすことになりましたが。
今の若者のように、また会う約束をするわけでも、連絡先などを聞くわけでもありません。各々がそれぞれの降車駅でお別れです。
折角のご縁なのに、何となく希薄で淡白だった気もしますが、今思い返してみると、それはそれで想い出深いって感じがします。あれからもう50年近く経ちましたが・・・。
夜行列車の風景