🌴もう少しちゃんとした生き方を

🌴ボヤキ徒然日記

昨夜、夢の中に現れた不審者を退却させるため、大声で威嚇している自分の声に、本人自身が驚いて目が覚めました。妻もビックリして飛び起きたようです。

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先日のアントニオ猪木の追悼番組で、彼が議員としての国会質問前に、「お元気ですかぁ~~!」という、お決まりのフレーズを大声で叫び、委員長から「心臓の悪い議員もいるので、大声で叫ぶのは控えるように!」と、お叱りを受けているたシーンがありました。
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妻が言うには、私の夢の中での大声も、それにも引けをとらないほどの大声だったようです。

その夢の中の断片的なシーンとは、
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よくわからない少人数の団体が、我が家(賃貸マンション)を訪れ、玄関をドンドンと叩き開けろと騒ぐ。しかしその建物は、現実の我が家(賃貸マンション)ではない。

玄関が開かないので、今度は共用廊下側の窓へと移動する。すると何故かその窓が僅かに開いていた。

そこから手を入れて、何かを投げ入れようとしているのか、はたまた何かを掴もうとしているのか不穏な様子。

状況が把握できない中で、それをやめさせようと、大声で威嚇したところで目が覚めたというわけです。
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こんな夢は何年ぶりかです。どうしてそんな夢をみたのか検証してみました。

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昨夜は夕食後の9時半頃から動画(映画)を観ました。舞台はハンガリーで、第二次世界大戦中のナチスによる、ユダヤ人迫害の実録を映画化したものです。

この映画は2時間ものですが、半分くらい観て残りは明日にして、寝ながら、定期購読している文藝春秋10月号を読むことにしました。

五木寛之の「2022年のうらやましい死に方」という記事があったので、それを読んでみました。その記事の一部ですが、
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人間には「死への物語」が必要だというのが私の主張です。

(中略)

何かしら自分なりの死への物語を持たないと、もがき苦しみ、悲惨で殺伐とした最後になってしまう。
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というくだりがありました。

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古稀になっても「死への物語」を持たない我が身。彼の言うように「もがき苦しみ、悲惨で殺伐とした最後になってしまう」のだろうか?。

ほんの一瞬ではありますが、そのような思いが脳裏をよぎりました。

変な夢をみた要因は、戦争映画ではなく、どうもこの「死への物語」云々の記事と思われます。

しかし一般論として「死への物語」を持って、日々生きてる人って多数派なんですかねぇ。

そうであれば、私もヘラヘラ、チャラチャラ生きずに、もう少しちゃんとした生き方をしなければ、、、。

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変な夢をみないように、今後はこのような記事は、寝る前に読まないようにします。